鎌田川源氏蛍発祥地
この東を南北に流れる鎌田川流域は、蛍の名所として知られていました。
「鎌田ひとすじ流れに沿うて、ポッと闇夜に夢あかり」と、鎌田小唄にもあるように、六月の発生期には、玉となったり、解けてひろがったりして光飛ぶ様は壮観をきわめ、農村の風物詩として近郊の人々が大勢見物に押しかけ、その際、雪洞が灯され、蛍合戦の際の演芸会や句会の開催などもあり、夏の情緒を満喫させた当時を懐かしむ人も少なくありません。
この地の蛍は形も大きく、昭和五年十月天然記念物として国の指定を受けて以来、昭和町を象徴するものとして、小中学校の校章にも図案化されましたが、蛍の繁殖地には、日本住血吸虫病の中間宿主である宮入貝が生息しており、この地の住民を悩ましつづけてきたため、殺貝の駆除薬等の散布によって宮入貝と共に蛍も減り、その後は、ほとんど姿をみかけることもなくなり、昭和五十一年三月には天然記念物の指定も解除になり今に至っています。
この碑は当時の面影を残す唯一のものとなっています。